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想いをつなぐ

感謝の言葉対象2015

入賞作品発表

感謝の言葉大賞

元気印の私にガンが見つかり、この8月12日から抗ガン剤治療が始まりました。帰省中の大学1年生の息子が、吐き気や、様々な副作用と戦う私を、何もいとわず看てくれました。お粥を作ってくれたり、梨をむいてくれたり、苦しいときは、背中をさすってくれました。ゆっくり休むはずの夏休みに、イヤな顔一つせずに家事も全部やってくれました。少しでも私を笑わせようと、一緒に漫才を見たり、一緒に歌ったりと、楽しいひとときを過ごしました。髪が抜けてショックを受けた時も、そっと寄り添ってくれました。「ごめんね」と言うと、「これから絶対に僕に謝らないで」と。こんな息子に申し訳なさとそして、誇らしさを感じます。息子のためにも、必ず病に打ち勝っていこうと誓いました。そして、謝らないことにしました。心をこめて「ありがとう」

MBSラジオ『ありがとう浜村淳です』賞

子どもが産まれて、転職した夫。残業が多くなり、帰りはいつも深夜です。顔を合わせると、仕事を頑張っている夫に向かって思わず、早く帰ってきてよ、子育ては大変だと、自分のことばかり話す私。夫の話はろくに聞こうともしていませんでした。ある日、連絡のやり取りはメールでしている夫から珍しく電話が。また、遅くなるの?子どもの起きてる顔も時々は見てよ。と愚痴を言おうとしたら。「いつもありがとう。家のこと任せきりですまない。なかなか言うことができなくて電話した。」だなんて。本当はわかってるの。あなたが私たち家族のために出張の少ない会社に転職したこと。遅く帰ったら、音をたてないようにそっと歩いていること。寝ている子どもと私の顔を幸せそうに見てること。頑張ってるのは私だけじゃないこと。いつも私の話ばかりでごめんね。今度はあなたの顔を見て、私からありがとうと言わせてね。大好きな新米父さん、いつもありがとう。

TBSラジオ『大沢悠里のゆうゆうワイド』賞

20代前半で離婚をし、親も頼れず、まだ若かった私は幼かった娘と二人、小さなアパートで不安と寂しさで押しつぶされそうで、いつも泣いていました。そんな時娘は、「私は一人ぼっちだ」と泣いている私の頭を小さな手でなでながら「違うよ、ママは一人ぼっちじゃないよ、だってゆいがいるもん。ママは一人ぼっちじゃなくて、ゆいと二人の二人ぼっちだよ。だから寂しくないよ。ゆいもママがいれば寂しくないもん」そう言ってずっと私の頭をなで続けてくれました。今でもこの暖かい言葉を忘れることができません。寂しくないはずがない、働きづめの私だったので、彼女が寂しくなかったはずはないんです。でも彼女はいつもそう言って私を励まし、なぐさめてくれました。だからこそ心の弱い私でも今日まで来ることができました。そして娘は今年22歳。今でも私のそばで私を励ましてくれています。

「りそな」賞

自分の誕生日は、お母さんが世界で一番頑張った日だと、自分が出産して知りました。

特別賞

2月に父が65歳で他界しました。あまり仲が良くなかった事。高速で1時間。近いような遠いような微妙な距離。父には年に数回顔をだす程度の娘でした。将来の為にと介護の仕事を始め、時々電話や食事をするのが精いっぱいである。と、思っていました。しかし、父にすい臓癌がみつかって2週間半。あっという間に全ては終わってしまいました。その時全ての理由は、言い訳にはなりませんでした。寡黙な父に褒められた記憶は殆どありません。そんな父が亡くなる前にくれた珍しく絵文字の入ったメール。「今日はありがとう③⑨」の文字。精いっぱい柔らかい文書を作ろうとしてくれたのでしょう。3人の子育てに頑張っている私には脱帽だよと。ずっと父に認められたかった私を言葉で優しく認めてくれました。後悔の波には今でも陥りそうになります。でも、何の因果か。父は可愛がっていた長女の誕生日に亡くなり、そして予想外の妊娠により、4人目をその頃に出産予定となりました。このご時世に4人!経済的にも問題は山積するでしょう。でも、お父さんに認めてもらった子育て。私のもてる力精いっぱいでこの子達を夫婦で育て上げて見せます!

銀婚式も済ませて、今では喧嘩もない代わりに、感謝の気持ちも無い私達夫婦。先日、私の父の葬儀があり、棺に入れる色紙に、「良いお嫁さんをありがとう」と小さく書いてあったのを見つけて、びっくりすると同時に、それを亡き父に言ってくれた事が嬉しくて、涙が止まりませんでした。

お婆ちゃんは年金での一人暮らしです。お金持ちのもう一人のお婆ちゃんと違い、自由になるお金は少ないので、たくさんお小遣いなど、くれた事はなかったし、プレゼントをもらった事もあまりありませんでしたが、私が小さい頃から、毎月ずっと3千円を私の為にと母に渡してくれていたそうです。今春大学へ進学、お婆ちゃんが積立してくれたお金を役立てる事も出来ました。大きなお金だけでなく、コツコツ貯めてくれたお金は、よりありがたいです。

亡き母は、社会人になったら、自分が一番損な役回りをしなさいと私に諭していました。十数年後、部下を持つ立場になって、心から本質をつく言葉だと分かり、努めて損をするように行動しました。そして、そのことは退職後の人生にさえ、大いに影響を与えています。そんな今の私を天国から見に来て欲しいです。その時、「お母さん、私、損をしたかな」と聞きます。

ダウン症で生まれてきた我が子は、生まれながらにして心臓に穴が開いていました。そして耳も全く聞こえません。今5才ですが、全く成長が止まってしまっているため、見た目は新生児と変わりません。1年の3分の1は入院しており付きっ切りです。そんな我が子ですが、よく笑ってくれるのが唯一の救いです。身体同様知識も発達していないのですが、ちょっとした手遊びをしたりすると、よく笑ってくれます。その笑顔も親バカですが、とてもかわいいのです。子供の面倒を見ることに疲れ果ててしまうこともありますが、我が子の笑顔がすべてを吹き飛ばしてくれるのです。

選考委員のご紹介

大沢 悠里(フリーアナウンサー)

  • 大沢 悠里(フリーアナウンサー)
  • 1941年2月11日生まれ。東京・浅草出身。1964年、早稲田大学第一法学部卒業後、TBS東京放送入社。入社後5年間報道番組を担当しその後、主にラジオをメインに歌謡番組を担当する。1986年、「大沢悠里のゆうゆうワイド」放送開始。平日4時間半の生放送が、今年で30年目を迎えている。

浜村 淳 (ラジオパーソナリティ・映画評論家)

  • 浜村 淳(ラジオパーソナリティ・映画評論家)
  • 1935年京都生まれ。関西では名を知らぬ人はいないといわれるほどの人気で「KING OF RADIO」とも称される。1974年に「ありがとう浜村淳です」の放送を開始して以降、年末年始やお盆、ゴールデンウィークも休まず生放送を届け続け、去年でついに40周年を迎えた。また、映画評論家の活動も精力的にこなし、「さて皆さん」から始まる斬新でユニークな浜村節で語る映画紹介はまさに職人芸。多くの人を魅了している。
  • 東和浩
  • りそなグループ