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活動紹介

2025年9月27日、宮城県岩沼市「千年希望の丘」にて、りそなグループの役員・従業員およびその家族など総勢181名が参加し、防災林として植樹した苗木の成長を促すために周囲の雑草や雑木を刈り取る育樹(除草)作業を実施しました。

2014年の植樹以降、継続して取り組んでいる現地での活動は、今年で12回目を迎えました。植えた当時は手のひらほどの小ささだった苗木も、大人の背丈を超えるほどになり、この地を守る防災林となるべく元気に成長しています。

当日は、育樹活動のほか、被災の経験を語り継ぐ「語り部」の方々から当時の記憶や教訓を伺ったり、新聞やハンカチ等身の回りにある物だけを使って避難時に役立つスリッパや袋を作ったり、災害時に活用できるロープ結びを体験する防災ワークショップを通して、改めて防災意識を高める貴重な一日となりました。

Re:Heart倶楽部では、“東日本大震災を忘れることなく、千年先まで子どもたちが笑顔で暮らせるように”という願いがこめられている「千年希望の丘」での活動を通して、震災の記憶と教訓、復興の記録の伝承に取り組んでいきます。

開会式・閉会式

活動を開始するにあたり、震災の犠牲になった多くの方々に黙祷をささげました。

りそなホールディングス社長 南昌宏
りそな銀行社長 岩永省一
岩沼市 鈴木副市長
参加者全員での集合写真

育樹

小さかった苗木は順調に大きく育っています。周囲の雑草や雑木を大胆に刈り取ることで木々の足元に風の通り路ができ、栄養もしっかり行き渡るようになります。

活動前
木々の周囲に子どもの背丈ほどの雑草や雑木が生い茂っている写真
活動後
作業を行い、木々の足元から雑草や雑木なくなった写真

参加者が一生懸命に下草刈りをしている様子

語り部ツアー

三陸地方の方言の「てんでんこ」とは、「てんでばらばら」という意味ですが、明治・昭和・平成の大津波を経験した三陸沿岸部では、津波から命を守る術として「津波が来たら『てんでんこ』で逃げろ!」と伝承されています。

語り部の方の「災害はいつ来るかわからないが、残念ながら必ず来る」「いざという時に自分の命を守るのは『自分自身』」というお話しを聞いた参加者からは、「今日見聞きして感じたことを、私たちも身近な人に語り継いでいかなくては、と実感しました」「いざという時『生き延びる行動ができるか』と考えると身が引き締まる思いがしました」といった声が上がっていました。

震災後生まれの小学生語り部が参加者に命の大切さを伝える様子
語り部ツアーで震災当時の話を聞く様子

防災ワークショップ

ガラスやガレキが散乱する中での避難時や避難所での寒さ対策に役立つ新聞紙スリッパ、食器や水が使えない状態で活躍する牛乳パックのお皿やスプーン、ハンカチを使った持ち運び用の袋作りを体験したり、災害時に活用できるロープ結びに参加したりしました。

新聞スリッパ作りの様子
牛乳パック皿・スプーン作りの様子
ハンカチ袋作りの様子
ロープ結び体験の様子

宮城県岩沼市ってどんなところ?

仙台市の南17.6kmに位置し、西部丘陵地帯から東部の太平洋に至るまでなだらかな平野が広がっており、国道4号・6号が合流し、東北本線と常磐線の分岐点となっています。さらに東北地方の国際玄関口となる仙台空港が所在する交通の要衝となっています。古くから竹駒神社の門前町、宿場町として栄えてきましたが、現在は、多くの企業が進出し商工業都市として発展しています。

2011年の東日本大震災では、震度6弱の揺れと甚大な津波により市全体の48%が浸水し、海岸沿いにあった6つの集落は壊滅。沿岸部を中心に、死者186人、家屋被害5,428戸という未曽有の津波が襲いました。被災後、6つの集落は海岸から3km離れた内陸部に集団移転をし、「玉浦西地区」という新しいまちが誕生しました。

千年希望の丘ってどんなところ?

被災して人が住めなくなった土地を活用し、市の沿岸約10kmにわたって6つの公園として整備されたのが「千年希望の丘」です。丘の土台に「震災ガレキ」が用いられ、津波の被害を後世に伝承するほか、「津波からどう立ち直ったか」「津波の被害をどう防ぐか」を伝える復興を象徴する「メモリアル公園」と位置づけられています。沿岸部には14基の丘が築造され、丘と丘を結ぶ園路が緑の堤防となり津波の力を減衰させる役割があるほか、緊急時の避難場所にもなっています。

屋根にテントが収納された四阿(あずまや)
かまどが収納されたベンチ